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2013.06.05

大雨の六四集会、本土の参加者「来年もまた来る」

大雨の六四集会。急きょ変更されたスローガンは「平反六四、永不放棄(天安門事件の犠牲者の名誉回復を永遠にあきらめない)」(2013年香港ビクトリア公園)

大雨の六四集会。急きょ変更されたスローガンは「平反六四、永不放棄(天安門事件の犠牲者の名誉回復を永遠にあきらめない)」(2013年香港ビクトリア公園)

キャンドルを手にした若者

キャンドルを手にした若者

 香港ビクトリア公園で6月4日夜、天安門事件の犠牲者を追悼する六四キャンドル集会が開催された。参加者は主催者発表で15万人、警察発表で5万4000人。中国本土からの参加者も目立ち、広東省深圳市の男性は「来年もまた来る」と語った。
 悪天候のため集会は予定より遅い夜8時20分から始まった。大雨で6カ所のサッカー場はぬかるみ、壇上の音響設備も影響を受けた。このため予定していた「天安門の母運動」の発起人、丁子霖さんと学生運動のリーダーだった王丹氏のビデオ講話は急きょ中止となり、通常よりも1時間近く早い9時前後に終了した。
 24周年目の今年も若者の姿が見られた。下校後、制服のまま参加した学生は、自分たちの世代が天安門事件を理解しなければ、次の世代は(事件のことを)忘れてしまうと語った。会場には北京語も多く聞かれた。中国本土から訪れた参加者たちの中にはマスクに帽子を着けた人もいたが、雨にぬれながらも参加し続けた。
 深圳市のある男性は、天安門事件が起きた時まだ9歳だった。「当時、テレビで見た映像は学生が暴力をふるっているものばかり。社会に出て初めてすべてはうそだったと知った」「これからも集会を続け、多くの人に事件の真相を伝えてほしい。来年は5歳の子供を連れて参加したい」と語った。
 一方、本土のメディアは天安門事件当時、北京市市長を務めた陳希同・前中央政治局委員、北京市委書記が6月3日に北京市で死去したと報じた。享年83歳。四川省出身の陳氏は1949年に中国共産党に入党。北京市公安局や同市副市長を経て1983年に市長に就任。1989年の天安門事件では戒厳令をしき、後に中央政治局委員、北京市委書記と昇格したが、1995年に金銭問題により共産党を除籍。1998年には汚職の罪で禁固16年の判決を受けた。
 晩年はひっそりと暮らしていたが、昨年5月に香港で出版した回顧録の中で、天安門事件の対策総指揮者は自分ではないと記し物議を醸した。これについて香港の時事評論員の劉鋭紹・氏は「当時の北京市市長であり、国務委員だった彼がただの傀儡(かいらい)だったと言うのか?」と語り、責任転嫁だと批難した。6月4日付け香港各紙が伝えた。

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